第二次世界大戦後、京浜工業地帯の入口に位置する国鉄(当時)と京浜急行の駅が近接している新子安駅の駅前で、その地域の神社所有地の中にひとつの旅館が開業しました。その駅のある場所は、幕末における日本の近代化の引き金となった生麦事件が起きた場所に近くの旧東海道にあり、その海岸は大正時代まで海水浴場で賑わった場所でしたが、昭和の初めに工業地帯として埋め立てられて日産自動車、日本ビクター、キリンビール、日本石油および日本鋼管などの工場や横浜輸送などの運輸会社や造船所が操業していました。主として、これらの工場や事業所に遠方から用向きのある人たちのための宿泊の施設を提供していました。
一部は伊勢佐木町へ出て、別の旅館を始めました。一時は伊勢佐木町地区の2個所で営業していたこともあります。
三ツ沢公園という場所は、戦前より横浜市の運動イベントの開催場所として有名でしたが、その近くの崖地に土地購入の話があり、整地して駐車場としていました。崖下の大規模集合住宅に住む人たちの車が置かれていました。
後継者の一部は、三ツ沢にアパートを建てました。2世代後の後継者たちは、伊勢佐木町に鉄筋コンクリート製のマンションを建設しました。また、その10年あまりの後、京浜地区での勤務拠点としての新子安に鉄筋コンクリート製のマンションが建設されました。ホテル事業からの撤退は、その時代の経済状況において敷地の持つボリューム力不足が原因のひとつでした。それぞれの所有者構成は変化しますが、経営管理はそのうちの一人が窓口・管理人・責任者として運営に当たっています。
本サイトは、提供している居住用賃貸住宅について、新しいライフスタイルを目指している人を対象に、賃貸契約や生活に役立つアレコレを紹介しているサイトです。